2021/03/31 00:00

私はカトリックの家庭で育ったので、聖書のオリーブ関連の話は幼少期から知っていた。しかし、私が実物のオリーブを手にしたのは、大学生になってからである。


1975年、私は23歳の医学生であったが、教会主催の聖地巡礼に参加した。夏休み、パリ→ルルド→イスラエル→ローマ→アッシジと巡った。初めての海外旅行は毎日が楽しく夢のようだった。

ある日、ローマ郊外の小さな女子修道院を訪問した。その修道院は木造の平屋で、背の低い林の中にひっそり建っていた。門から土の道を歩いて院内に入って行くと、修道女がひとり、道端で3mほどの見慣れぬ木に向かって立ち仕事をしている。近づくと、その修道女は若いイタリア人のようで、青い作業着姿で木の小枝に鈴なりにぶら下がっているサクランボウ大の緑の実を黙々と摘んでいた。

私に気付いたシスターは、陽の光にキラキラ白く輝く小枝の間から顔を出し、陽気な声で「ボンジョルノ!」と声を掛けてくれた。そして、これがオリーブの木である、と教えられた。その修道院はオリーブ林の中にあったのである。

初めてのオリーブに感激したが、私は乾燥した真夏の野外で、ひとり静かにオリーブの実を摘んでいる修道女の姿に、とても救われた感じがした。壮麗ではあるが巨大で威圧感のあるバチカンには違和感を持ったからである。穏やかな安らぎを感じ、この時初めて、巡礼に参加して本当によかったと思った。そして、いつか自分でオリーブを育て、あのシスターのように静かに無心で、オリーブを摘みたいと思った。


時は流れ、33年後の2008年、56歳の春、私はオリーブを育て実を収穫するという長年の夢に動かされ、ついに現実の作業を開始した。最初に、高松出身の娘婿の紹介で小豆島オリーブ公園から詳細なアドバイスを頂き、上州前橋でも露地植えオリーブ栽培が十分可能であることを確認した。

3月下旬、小豆島から二年目の苗木が届いた。私の診療所に隣接した土地に、ミッション、ルッカ、マンザニーロ、ネバディロ・ブランコの四品種、計20本を植え付けた。背丈は40センチの可愛い苗木である。南国から突然移住させられ、上州の空っ風に震え上がっていた。

5月上旬、オリーブ畑に出かけると、白い点々が枝に付いている。駆け寄ると、3ミリ程の黄色い花がパラパラと咲いている。花は金木犀とそっくり。こんな苗木に花が咲くなんて。でも、この花は結実するのだろうか?

結局、花は結実しなかった。安定した結実には五年掛かるという。


年が明け2009年、オリーブは3歳になった。苗木はグングン伸び、夏にはなんと3メートル近くになった。5月、どの木にも黄色い小さな花が咲き、お花見気分。8月、花は可愛い実となり、毎日大きくなって行く。こんなに早く収穫の目途が立つなんて!

災いはこんな時にやって来る。秋の台風シーズンになった。100年前、日本で始めてオリーブが鹿児島、宮崎、小豆島に植えられたが、台風で小豆島以外は全滅した。  


9月のある日、台風十八号がなんと前橋直撃コースを取った。台風は夜半に前橋を襲い、私は心配で眠れない。夜が明けるや、暴風の中をオリーブ畑に駆け寄った。悪夢はさけられたが、オリーブたちは暴風で根元が浮き上り、今にも吹き飛びそう。ひどい木は45度傾いている。倒木寸前だ。どうしよう!倒れそうな木を支えてみたが台風の風圧は半端でない。私も吹き飛ばされそうだ。仕方ない、枝を切り落とすのみ!

外科医の心得、鬼手仏心。私は剪定鋏を取り、オリーブちゃんゴメン!と、枝をバッサバッサと切り落とした。だが風圧はなかなか減らない。ついに背丈を詰めるしかない、と決断。木の先端を、エイヤッ!と一メートル切り落とした。すると突然風圧が無くなった。よし、これだ!と、次から次にオリーブの背丈を切り詰めた。カットされたオリーブたちは風に負けず楽に立っている。ああ、よかった!これで何とか助かった!

その時、駆けつけた家内が「台風はもう通過してしまったそうよ!」と叫んだ。ふと我に返ると、確かに風は止んでいる。いや、これは台風の目に違いない、再度の強風が襲って来るぞ!しかし、二度と風は吹かなかった。台風一過、晴天と明るい太陽が輝き出した。

「オリーブちゃん、切らなくても良かったじゃん。可哀想なことしたわね!」と家内。

12月になった。とうとう収穫の時がやって来た。小春日和の日曜日、オリーブ畑で、家内と私のふたり、完熟した11粒の黒い実を摘み取った。何はともあれ、大感激の収穫であった。


翌々年の2011年には突然の大収穫となった。10月、緑果を早摘みし、苛性ソーダで脱渋し、塩水で漬物を作った。これは「新漬けオリーブ」として市販されていて、輸入の瓶詰とは全くの別物である。輪切りにし、豆腐を入れた味噌汁は、緑と白がきれいで抜群に美味しい。

だが食べきれないほど実が成っている。肝心の搾油の方法が解らない。どうしよう。思案に暮れていたら、オリーブ公園恒例の「マイオリーブ作り講習会」の案内が目に留まった。


11月のある土曜日、午後を休診とし、家内とふたり小豆島へ向かった。四国は初めてで、高松から土庄へのフェリーから夕陽を浴びた島々を眺めた時、思わず「瀬戸の花嫁」が口を出た。翌日の講習会は、農業実習も兼ねていた。オリーブの搾油は、完熟した実を砕きキッチンペーパーで漉せば、オイルがポタポタ最上のバージンオイルとなる。この方法で、500グラムの実から30㏄のオイルが取れる。しかし、5時間以上かかり実用的ではない。オリーブ公園の事業部長で講師の古川先生に相談したところ、

「ほう~、前橋で栽培しているんですか・・。それでは、群馬に帰ったら、実を全部はずして、送って下さい。搾油してビン詰にして送り返します」

さっそく送った40キロの実は、12月、ビン詰になって我家に帰ってきた。そのエクストラバージンオイルの風味と味はとにかく格別であった。


その後、オリーブは順調に成長し、高さが5メートルにもなり、毎年300キロ程度収穫するようになった。

古川先生はアンダルシア州のカタドール(オリーブ鑑定士)であった。その古川先生に指導を受けていたから「村谷さん、そろそろ搾油機を導入しませんか?」と提案され、後先考えず、

 「お願いします!前橋で初のオリーブの搾油ですね」

と、完全に前のめりに決めてしまった。導入する搾油機はイタリア製。これでOKと思ったら、搾油をするには食用油脂製造業の許可が必要で、その許可を得るには保健所の基準を満たす搾油所が必要と判明した。保健所とのやり取りが半年続き,ついに村谷オリーブ園の中に、[オリーブの小枝香房]と名付けた小さな搾油所が完成した。「午前収穫 午後搾油」を合言葉に頑張っている。


2008年、エルサレムを33年ぶりに再訪した。オリーブ山の中腹にゲッセマネの園がある。園内には樹齢二千年と伝えられるオリーブの古木が数本ある。ガイドの話では実際の樹齢は500年程らしい。イエスの最後の晩餐の舞台である。私のオリーブ栽培はこの旅行の直後に開始されたことになる。


さて、現在も農作業は続いている。オリーブは30年で成木となり、150年は結実するという。


現在、私は71歳。我家のオリーブたちは15歳、30歳の成人式を見届ける自信はない。でも、ローマ郊外の修道院で、祈るようにオリーブを摘んでいたシスターのように、静かな収穫を毎年したいと願っている。


オリーブの小枝香房代表 村谷貢

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